そろそろ44年のネタが尽きてきた。
まだまだ書きたいこともあるような、書き残したこともあるような気がするが、いちおう毎日書くことはやめて、あとは気が向いたときに書くことにしよう。

独りよがりが目立つかもしれない、しかも書きなぐりの乱文にお付き合いくださった方、コメントをいただいた方々に感謝します。

また気が向いたらおいでください。
またコメントはいつでも受け付けますので、疑問に感じたことなども遠慮なく書いてください。

ではまた。

日本ホテルの常勤監査役でやったことの、もう一つはJR東日本グループ会社の監査役連絡会といったか、研究会兼親睦会みたいな会の会長をやったことだ。

私が一番年次が上だったから、逃げるわけにいかず引き受けた。
年に一度の総会会場は各社の回り持ちで東北や長野などに行けるのも嬉しかった。
きちんと会計報告もあり、年次報告と次年度の事業計画なども、立派なものを作った。
総会では、誰か講師を呼んで講演会をやり、土地の名士や話題の人物、JRの幹部や先輩の話も聞いた。
終ったあとのパーテイがあり、翌日は有志で近所の観光地を歩いた。

そのほかに、法規の勉強会や講演会もたびたび実施、その内容や人選、出演交渉などを役員たちが集まって決めていくのも、楽しみ(私には)だった。
講演会はJR東日本もグループ社長会などで何度もやっていたけれど、講師の選び方は監査役会の方も負けていなかった。
どこの依頼でも講師を派遣しないというあるフアッションメーカーを、かつて一緒に学んだこともある若い女性が口説き落としてくれて、有益な将来構想などを具体的に聞くことも出来た。
それは、ある時期を限って会社の「あるべき姿」を明らかにし、そのためには何をしなければならないかを、具体的に年次計画に落とし込むというもので、ある意味では経営者は当然やらなければならないのに、JR本体および子会社の多くが、やれていないことで、鉄道会館のときに必死になってやろうとしたことだった。

監査役になっている後輩たちのほとんどは社長経験のない人たちで、一抹の寂しさはあったはずだが、こういう活動をすることで活力を得ていたのではないか。
打ち合わせのあと、または定例的に飲み会もやった。

監査役を辞める人が、「これでやっと家を離れてゆっくり旅行ができる。かみさんに頼んで20万円と10日の旅を認めてもらった」と喜んでいた。
キャリア組でなく、都内の大きな駅長まで勤めて、その後関連会社で部長職を経由、監査役になった人で、その間、いつ何が起こるか分からないので家を離れることはなかったというのだ。
そういう人たちが国鉄・JRを支えてきたのだ。
その人とはいっしょに仕事をしたことはなかったけれど、私のことを認めてくれる一言があって、私にはなによりもの「表彰」だった。

辛抱強くJRの幹部を説得して愚劣な体制を是正させただけで、私は責務の大部分を果たしたようにも思えたが、せっかく監査役というポストにいるのだから、もうちょっと会社の役に立つことをしようと思った。

といっても、いわゆる会計帳簿を鵜の目鷹の目でチエックするようなことは、執行部の監査部と監査法人に任せて自分ではいっさい見なかった。
やったことは、各種会議に出席すること、池袋、飯田橋、東京の各ホテルや赤羽、津田沼、国分寺、溝の口、浦和、高円寺、武蔵境などのメッツ(日本ホテル傘下)を見て歩くことだった。
そこで支配人だけでなく食堂のスタッフなどに、とくだん改まってではなく、話を聞いていると、いろんな問題点が解ってきた。

細かい具体例はほとんど忘れてしまったが、たいていはお客様に接する現場で、いちばん大切な細部がないがしろにされていることだった。
たとえば、清掃が行き届かない、それを現場に即してつめていくと、業務委託によって、具体的な問題をスタッフに指摘する体制になっていない、そのせいかホテルの人たちが、日々清掃の状態をチエックして、是正しようという気持ちにもなっていないのだ。

気がついたことを毎月10項目くらい、箇条書きにして、社長に一時間くらいかけて説明し、善処することを求めた。
社長は、ほとんどの指摘に頷いて「わかりました」と答えるのだが、目に見えて改善されることは少なかったように思う。

150人規模の鉄道会館でも体質改善をはかるためには、社長はよほどの能力がないかぎり、死に物狂いにならなければならない。
まして日本ホテルグループははるかに規模が大きいのだ。
私には、社長がよほどの能力に恵まれているとも、死に物狂いになっているとも見えなかった。
また、日本ホテルが体質改善をしないで一流ホテルとして顧客の信頼を得ることは難しいとも思った。

日本ホテルを見ている過程で、本社マターだと思われることも少なからず見つけた。
それは月一度のグループ監査役会議で、本社の監査役に問題提起した。
これもほとんど、反対とか異論をぶつけられることはなかったが、実行に移されることは少なかった。

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