国鉄本社採用職員だった私の鉄道員生活の始まりは国分寺にあった中央鉄道学園での座学と現場実習で始まった。
先輩たちが着たお古でサイズが合わない制服を着て学園に半年、地方の管理局から現場に半年を二度繰り返して都合二年間が研修期間だったから、即戦力を期待される今のJR社員から見たらのんびりしたもんだった。

私は仙台鉄道管理局に配属され改札や出札を始めとする駅業務、ヤード、機関区、工場、信号区、車掌区、保線区、電力区、鉄道公安室、、印刷場など、すべての現場に行って一応なんでもやらされた。

仕事を覚えるというよりも、多くの職場の連携によって定時・安全運行が確保されるという鉄道の仕組み、とくに現場の人たちの気持ちを肌で感じることが大事だったし、じっさい発見に満ちた、とても楽しい毎日だった。

当時国鉄には47万人の職員がいて、私たち本社採用職員は毎年7~80人程度、それがすぐに管理部門の幹部になるのだから、どうしても現場の感覚を失いがちになる。
すでにこの現場実習でも「俺たちはこういうことをするために国鉄に入ったんじゃない」などと現場の人の説明を上の空で聞いたり早めに切り上げてサボろうとする男も多かった。
暑い日差しのなかで、あまり上手とは言えない説明を聞いたり、将来二度と触らないような器具の扱い方をやってみることなどを嫌がるのだ。

私は「大学を出たからというだけで、現場の人が一生かかってもたどり着けない役職に若くして登用されること」をなんとなく”申し訳ない”という気持ちがあった。
これからの国鉄人生では現場の人たちのためになる、本社採用でなくては出来ないような働きをしようと思っていた。
だからその現場の人が一生懸命説明してくれているのだから、一言も聴きもらすまいと、眠くなったら自分の膝をつねったり、無理にでも質問をこしらえてみたり、サボるなどは論外だった。
8人のチームのリーダー格だった私はちょっとウザイ男だったのだ。

 

すべて自分の胸にたたんだままで逝ってしまおうかと思ったが、、
未練、頭の整理、、あとの者に、、
忘れっぽくなった頭に浮かんでくることどもをぼつぼつと
書いてみよう.。

 

と書いたのが9年前、そのまま更新することもなく、ほったらかしにしておいた。

今度こそ、少しづつ書いてみよう。

記憶違いもあるだろう
時系列にはこだわらず、、

孫たちに自慢話をするように、、