82年の11月だったか、本社は現場協議制を廃止した。
多くは純朴で生真面目な駅長区長助役たちに対して、半ばプロ化した活動家がマル生運動の恨みをこめて徹底的に吊し上げ、闇慣行などを勝ち取る。
たしかに国鉄の現場規律の乱れなど、諸悪の根源といわれてもしょうがないのが実態だった。

制度廃止の趣旨やこんごの取り組みを指導するために本社職員局調査役が名古屋局にきた。
大会議室に現場長と各部長が集められた。

調査役が「こんご現場では組合とのあいだで一切の話し合いをしてはならない」を骨子とする一通りの説明を終えて、質問を受け付けたところ、ある車掌区長が立って、ダイヤ改正などに伴う具体的な作業変更について分会と話すこともいけないのか?と質問した。

私は本社調査役が答えるまえに、「現場で作業について疑問点などを話し合うのはむしろ現場長のつとめだ。私が営業部長であるかぎり、営業現場長は堂々と説明し質問に答えよ」といった。

よくじつ、私は名古屋臨海鉄道に出向を命じられた。
本社の方針に反する、けしからん部長だ、というわけだ。

名古屋臨海鉄道の専務(元名古屋市清掃局長)がやってきて、「6月の株主総会で役員を改選するまで、あなたが来ても何の仕事もないので、のんびりしていてくれ」といった。
それではこっちがおかしくなる。
私は局長に頼んで、臨時株主総会をひらいてもらって、常務取締役として名古屋臨海鉄道に赴任した。