支社長になって、なにより大事にしたのは「お客様第一」「現場第一」ということだった。
言葉としては多くの人が口にするけれど、なかなか実行できていない。
管理部門第一であったり、自分第一であったりする。
国鉄が国民の信を失って民営分割化されたのも、その根っこには、お客様より国鉄の都合、縦割りの官僚的経営、保身第一による無責任体質、現場を知らない、それでいて大事なことを現場にかぶせる、、そんなことがあったからだと思っていた。

そういう形式的官僚的なきれいごとを繰り返すようでは、ふたたびお客様の支持を失い、ひいてはJRおよびそこに働く社員の生活は守れない。
それは、仙台での現場実習ついで会津坂下駅長として始めた国鉄生活のなかで、マル生運動の失敗や神奈川県警交通指導課長としての見聞、東京北局から職員局における労働組合との泥沼の日々、名古屋局営業部長における体験、名古屋臨海鉄道で見いだした現場のすばらしさ、貨物局における貨物会社設立の苦しみ、埼京線開発でのフアッションビル経営や高架下開発、JR東日本企画の設立、JR東日本開発事業の実態などを通して、一貫して強く感じて来たことだった。

多くのことをやり、途中で現場第一の視点から時の権力と対立し、なんどか窓際勤務も強いられ、生活の不安さえ感じたのに、こうして思い出多き千葉の地に立ち、尊敬する田口局長と同じ仕事を与えられた。
これ以上の幸せはない。
すべてを「お客様第一」「現場第一」の実現のために捧げよう。
そんな気持ちだった。
テロなにするものぞだった。