日本ホテルの常勤監査役でやったことの、もう一つはJR東日本グループ会社の監査役連絡会といったか、研究会兼親睦会みたいな会の会長をやったことだ。

私が一番年次が上だったから、逃げるわけにいかず引き受けた。
年に一度の総会会場は各社の回り持ちで東北や長野などに行けるのも嬉しかった。
きちんと会計報告もあり、年次報告と次年度の事業計画なども、立派なものを作った。
総会では、誰か講師を呼んで講演会をやり、土地の名士や話題の人物、JRの幹部や先輩の話も聞いた。
終ったあとのパーテイがあり、翌日は有志で近所の観光地を歩いた。

そのほかに、法規の勉強会や講演会もたびたび実施、その内容や人選、出演交渉などを役員たちが集まって決めていくのも、楽しみ(私には)だった。
講演会はJR東日本もグループ社長会などで何度もやっていたけれど、講師の選び方は監査役会の方も負けていなかった。
どこの依頼でも講師を派遣しないというあるフアッションメーカーを、かつて一緒に学んだこともある若い女性が口説き落としてくれて、有益な将来構想などを具体的に聞くことも出来た。
それは、ある時期を限って会社の「あるべき姿」を明らかにし、そのためには何をしなければならないかを、具体的に年次計画に落とし込むというもので、ある意味では経営者は当然やらなければならないのに、JR本体および子会社の多くが、やれていないことで、鉄道会館のときに必死になってやろうとしたことだった。

監査役になっている後輩たちのほとんどは社長経験のない人たちで、一抹の寂しさはあったはずだが、こういう活動をすることで活力を得ていたのではないか。
打ち合わせのあと、または定例的に飲み会もやった。

監査役を辞める人が、「これでやっと家を離れてゆっくり旅行ができる。かみさんに頼んで20万円と10日の旅を認めてもらった」と喜んでいた。
キャリア組でなく、都内の大きな駅長まで勤めて、その後関連会社で部長職を経由、監査役になった人で、その間、いつ何が起こるか分からないので家を離れることはなかったというのだ。
そういう人たちが国鉄・JRを支えてきたのだ。
その人とはいっしょに仕事をしたことはなかったけれど、私のことを認めてくれる一言があって、私にはなによりもの「表彰」だった。