マル生の全国研修は凄まじい効果を上げた。
研修から帰った人事課の若い課員が、私に話を聞いてほしいというから会議室で二人になった。
彼は突然「課長はどういうつもりで私を研修に出したのですか?!」といったなりに泣き出した。
あの研修で習ったことを実行しようとしたら、今までの人間関係をないものにして死ぬ気にならないといけないのだ、という。
「今やるのだ、俺がやらなきゃ誰がやる」と今までの「堕落した、国労と癒着した」自分を覚醒して新しい生き方をせよ、と受け取ってきたらしい。
同じ研修に参加した人たちが、口々に、みんな揃って決起を誓ったという。
私は、一人ならず参加したほとんどの人間をわずか四日ほどの研修で同じように変えてしまうというのは、なにか不自然なことに思えた。
そんなことで国鉄が変わるとは思えなかった。
本社は職員局のなかの養成課を能力開発課と名を変えて、神がかり的にマル生運動を推進する大野光基氏を課長にあてた。
彼は本社採用学士で、生産性研修を受けてから自分のそれまでの生ぬるいエリートとしての生き方を根本から反省したという(それは本気だと私は受け取った)。
本社から地方局においても、能力開発課を作って人事課の業務であった教育研修業務を行わせよという指示がきた、マル生運動事務局というわけだ。
当時要員削減のために、非現業部門は理屈抜きに毎年各課一律に7%の定員を減らすことが義務付けられていた。
もともと田舎のC局(東京はA局)として少ない人員だった千葉は急激な業務量の増加に対してただでさえ課員が少なくそのノルマの遂行には苦しみ抜いていた。
人事課の教育研修業務要員は庶務業務を兼掌する者もいた、そこへ能力開発課を新設せよといわれるのは合理化・7パーセント削減の旗振り役として切ないものがある。
さらに私には人事課長として自分の力の半分くらいを教育研修業務に充てているという自負があった。
よその人事課がややもすれば教育研修業務を片手間仕事のように見なしているのとは訳が違う。
新しく課を設けて、課長はどうするのだ?
課長という名前だけで、本気で教育に取り組むような人は千葉のプロパーにはすぐには見当たらない。
本社から出す?そんな学士がいるのか?
猫の手も借りたいような多忙を極める現場から研修要員を出してもらうのは、人事課長の「威光」も必要ではないか。
いろいろ言って、千葉では能力開発課を作らないと頑張った。
そのうち全国で千葉だけが能力開発課を作ってないから、なんとか看板だけも、といってくる。
総務部長や局長も、少しは本社の顔も立てたらという。
已むを得ず、人事課の隣に能力開発課を作り、私・人事課長が課長を兼務することにした。
私は「日本一の能力開発課にしよう」と大きく紙に書いて窓ガラスに貼った。
不当労働行為なんかやらない、ほんとの教育で質量ともに日本一にしよう、と。
本社から『マル生情報』を発信せよと毎日催促してきたが、それには応じるなと課長命令。
半年くらいそれで頑張ったが、本社採用の、とても優秀な技術屋を送るから受けろと言われ、U君を課長として迎えた。
気立てのいい男で、不当労働行為などとは無縁な人だったのでほっとした。
研修から帰った人事課の若い課員が、私に話を聞いてほしいというから会議室で二人になった。
彼は突然「課長はどういうつもりで私を研修に出したのですか?!」といったなりに泣き出した。
あの研修で習ったことを実行しようとしたら、今までの人間関係をないものにして死ぬ気にならないといけないのだ、という。
「今やるのだ、俺がやらなきゃ誰がやる」と今までの「堕落した、国労と癒着した」自分を覚醒して新しい生き方をせよ、と受け取ってきたらしい。
同じ研修に参加した人たちが、口々に、みんな揃って決起を誓ったという。
私は、一人ならず参加したほとんどの人間をわずか四日ほどの研修で同じように変えてしまうというのは、なにか不自然なことに思えた。
そんなことで国鉄が変わるとは思えなかった。
本社は職員局のなかの養成課を能力開発課と名を変えて、神がかり的にマル生運動を推進する大野光基氏を課長にあてた。
彼は本社採用学士で、生産性研修を受けてから自分のそれまでの生ぬるいエリートとしての生き方を根本から反省したという(それは本気だと私は受け取った)。
本社から地方局においても、能力開発課を作って人事課の業務であった教育研修業務を行わせよという指示がきた、マル生運動事務局というわけだ。
当時要員削減のために、非現業部門は理屈抜きに毎年各課一律に7%の定員を減らすことが義務付けられていた。
もともと田舎のC局(東京はA局)として少ない人員だった千葉は急激な業務量の増加に対してただでさえ課員が少なくそのノルマの遂行には苦しみ抜いていた。
人事課の教育研修業務要員は庶務業務を兼掌する者もいた、そこへ能力開発課を新設せよといわれるのは合理化・7パーセント削減の旗振り役として切ないものがある。
さらに私には人事課長として自分の力の半分くらいを教育研修業務に充てているという自負があった。
よその人事課がややもすれば教育研修業務を片手間仕事のように見なしているのとは訳が違う。
新しく課を設けて、課長はどうするのだ?
課長という名前だけで、本気で教育に取り組むような人は千葉のプロパーにはすぐには見当たらない。
本社から出す?そんな学士がいるのか?
猫の手も借りたいような多忙を極める現場から研修要員を出してもらうのは、人事課長の「威光」も必要ではないか。
いろいろ言って、千葉では能力開発課を作らないと頑張った。
そのうち全国で千葉だけが能力開発課を作ってないから、なんとか看板だけも、といってくる。
総務部長や局長も、少しは本社の顔も立てたらという。
已むを得ず、人事課の隣に能力開発課を作り、私・人事課長が課長を兼務することにした。
私は「日本一の能力開発課にしよう」と大きく紙に書いて窓ガラスに貼った。
不当労働行為なんかやらない、ほんとの教育で質量ともに日本一にしよう、と。
本社から『マル生情報』を発信せよと毎日催促してきたが、それには応じるなと課長命令。
半年くらいそれで頑張ったが、本社採用の、とても優秀な技術屋を送るから受けろと言われ、U君を課長として迎えた。
気立てのいい男で、不当労働行為などとは無縁な人だったのでほっとした。