組合の人との「濃密な人間関係」は、東京北局にいたときは、国労のツーさんだけだったが、本社に行ってから、動労の城石組織部長と鉄労の押尾賃対部長がそれに加わった。
函館出身、革マル派で中核派のビラで罵られていた城さんは、松崎明の側近で、松崎さんに言われて私と付き合うようになったのかもしれない。
毎晩必ずと言ってもいいくらい電話があって、銀座の小料理屋で腹ごしらえしてクラブで飲んだ。
陰気な酒で、こっちが黙っていると向こうも無言が続く。
いつも行くクラブも高齢の女性ばかりで、その人たちが席について、つまらないお愛想を言っても取り合わないで黙ってウイスキーを飲み続けていた。
たまには早く帰って子供たちの顔をみたいと思っても、帰るというと、強く引き留めるのだ。
機嫌のよいときは、歌う店に行ったり、あてもなく新宿などを彷徨うこともあった。
彷徨いながら亀戸天神の境内にある老舗割烹に初めて行って、もう閉店になった玄関で「玉子かけご飯を食わしてくれ」と頼んで小部屋で食ったこともある。
お互いの葬式には弔辞を読み合おう、と本気のようにいうのだった。
鉄労の押尾さんは広島出身、給与課のトイメンの仕事ということもあったが、石井さんと親しい鉄労幹部の推しもあって、付き合うようになった。
明るく人当たりがよく、正直で、彼と飲んでいるのは楽しかった。
何日も続く泥沼のような交渉は、動労の意向にも気を配りつつ国労が先に決着し、そのあとで、鉄労にその結論を飲んでもらうことが殆どだったが、普通なら嫌みを言ったり抵抗するようなケースでも、さっさと中身を聞いてくれた。
もっとも、国労との交渉の過程の節々で、成り行きと当局の腹の内を囁いておくから、彼の方もそれを腹にしまって、組合内部を根回ししておくのだ。
そういう「ここだけ、あなただけ」の話ができるようにしておくのが「濃密な人間関係」なのだった。
国労との交渉が終わって、押さんに「終わったよ」と電話すると「お疲れ様」と返ってくる。
それから、しらじら夜明けの町で開いている店を探して入り、我が「武勇談」を聞いてくれた押さんが懐かしい。
鉄労では、菅家中執とも親しかった。
本社の廊下を歩いていたら、人相の悪い若い男が近づいてくるので、ちょっと腰を引いたら、なんと、会津若松の機関区の青年部にいて、会津坂下駅長をしているときから、なんども顔を合わせていたのだという。
多数の主張の異なる組合、その個性豊かな役員たちと団体交渉をして、最後は同じ答えを共有する。
そのためには、四角四面な交渉だけでなく、交渉に入る前も含めて様々な根回しをする。
そこで重要なことは、立場の違う誰と対しても、常に同じことをいうことだ。
それが信頼につながり、その積み重ねが「濃密な人間関係」を築く。
当局の上司の前で、ある組合の幹部の発言を「馬鹿なことを言っている」と報告し、その幹部の前では、上司の発言を「頭が固くて困る」というような人も少なくない。
そういうことをした後に、私が当該役員のところに別件で寄ったりすると、ぜんぶバレてしまった。
嘘をつかないことが全てだ。
函館出身、革マル派で中核派のビラで罵られていた城さんは、松崎明の側近で、松崎さんに言われて私と付き合うようになったのかもしれない。
毎晩必ずと言ってもいいくらい電話があって、銀座の小料理屋で腹ごしらえしてクラブで飲んだ。
陰気な酒で、こっちが黙っていると向こうも無言が続く。
いつも行くクラブも高齢の女性ばかりで、その人たちが席について、つまらないお愛想を言っても取り合わないで黙ってウイスキーを飲み続けていた。
たまには早く帰って子供たちの顔をみたいと思っても、帰るというと、強く引き留めるのだ。
機嫌のよいときは、歌う店に行ったり、あてもなく新宿などを彷徨うこともあった。
彷徨いながら亀戸天神の境内にある老舗割烹に初めて行って、もう閉店になった玄関で「玉子かけご飯を食わしてくれ」と頼んで小部屋で食ったこともある。
お互いの葬式には弔辞を読み合おう、と本気のようにいうのだった。
鉄労の押尾さんは広島出身、給与課のトイメンの仕事ということもあったが、石井さんと親しい鉄労幹部の推しもあって、付き合うようになった。
明るく人当たりがよく、正直で、彼と飲んでいるのは楽しかった。
何日も続く泥沼のような交渉は、動労の意向にも気を配りつつ国労が先に決着し、そのあとで、鉄労にその結論を飲んでもらうことが殆どだったが、普通なら嫌みを言ったり抵抗するようなケースでも、さっさと中身を聞いてくれた。
もっとも、国労との交渉の過程の節々で、成り行きと当局の腹の内を囁いておくから、彼の方もそれを腹にしまって、組合内部を根回ししておくのだ。
そういう「ここだけ、あなただけ」の話ができるようにしておくのが「濃密な人間関係」なのだった。
国労との交渉が終わって、押さんに「終わったよ」と電話すると「お疲れ様」と返ってくる。
それから、しらじら夜明けの町で開いている店を探して入り、我が「武勇談」を聞いてくれた押さんが懐かしい。
鉄労では、菅家中執とも親しかった。
本社の廊下を歩いていたら、人相の悪い若い男が近づいてくるので、ちょっと腰を引いたら、なんと、会津若松の機関区の青年部にいて、会津坂下駅長をしているときから、なんども顔を合わせていたのだという。
多数の主張の異なる組合、その個性豊かな役員たちと団体交渉をして、最後は同じ答えを共有する。
そのためには、四角四面な交渉だけでなく、交渉に入る前も含めて様々な根回しをする。
そこで重要なことは、立場の違う誰と対しても、常に同じことをいうことだ。
それが信頼につながり、その積み重ねが「濃密な人間関係」を築く。
当局の上司の前で、ある組合の幹部の発言を「馬鹿なことを言っている」と報告し、その幹部の前では、上司の発言を「頭が固くて困る」というような人も少なくない。
そういうことをした後に、私が当該役員のところに別件で寄ったりすると、ぜんぶバレてしまった。
嘘をつかないことが全てだ。