2021年12月

臨海鉄道の社長は、Nさんという大人しい先輩だった。
会社には毎日来られて、社長室でクロスワードをおやりになっていた。
体調も悪いらしく、変わることになった。

次の社長に真鍋洋さんに来て欲しいので、本社に掛け合ってほしいと、プロパーOBのボスたるSさんが私に云う。
真鍋さんは、ずいぶん前に名古屋管理局で営業部長をやったときに、Sさんが仕えてすっかり惚れ込んでいるのだ。
名古屋には多くのファンがいて、真鍋待望論があるのだそうだ。
真鍋さんは、国鉄本社職員局長・常務理事のときにマル生運動敗北の責任者として更迭され、大阪駅ビル社長に出たが大阪財界とうまくいかないことがあって、今は小山駅ビル社長をしているが、、それはあまりにも役不足で本人も不本意のはずだと、どうもかつての真鍋門下生が昔の親分を呼び寄せたいらしい。

そんなことを私ができるとは思わなかったが、どうしても真鍋さんでなくては臨海鉄道はもたないというのだ。
どうすればいい?やはり名古屋で総務部長をしたTさんを仲立ちにしたら良いという。
Tさんなら東京北局人事課長で私の二代前の立派な先輩で、石井さんのあとの職員局給与課長、親しくさせてもらっていた。

SさんといっしょにTさんに会い、真鍋さんを名古屋臨海に来ていただくために力を貸して欲しいと頼んだ。
Tさんは、それじゃ橋元常務に頼んでみよう、というので話をしてもらった。
ハシゲン(橋元)が君にも会いたいというから一席設けてくれとTさんの答えがあった。

Sさん、Tさん、私の三人でハシゲンにあって、真鍋さんをくださいと依頼、彼はそれは了解してくれて、なんだか私の激励をしたかったようだった。
千葉局で仕えた泉局長と田口局長の二人が別々に私のことを過分に褒めたのを聞いて、「あの二人が褒めるのだから」と気にかけてくださっていたようだ。

そんなことで、私は真鍋さんに仕えることになった。
千葉局人事課長の時は、真鍋さんが指揮するマル生に反対していたのに、不思議な縁だった。
名古屋に着任する前にいちど丸の内ホテルで二人で簡単な食事をした。
直感的に温かい、懐の大きな人だと思った。

名古屋臨海鉄道に着任してしばらくしたら、春闘の季節になった。
臨海鉄道にもひとつ労働組合があって委員長は先ごろ代わったばかり、張り切っていた。

国労の指導のもと、関連企業の組合に加入していて、国労がストを構えるとそれに倣って臨海鉄道労組もストを構えた。

国労がストに入らずに交渉妥結したのに、臨海はスト準備指令を解除しない。

総務部長は名古屋市のOBで何を訊いても分からない。
国鉄OBの人事課長も労務の経験がないせいもあって、泰然としている。
「このままだとストに入っちゃうぞ。」と言っても「今までやったことないから大丈夫です」という。

何の要求で対立しているのかと訊くと「ユニオンショップ協定を結べというのです」、そんなことを突然言われても簡単にできることじゃないのに、新しい委員長は手柄を立てたいらしい。
その浅井君と私はまだ挨拶をした程度で腹を割った話ができる状態どころか、突然やってきた私には警戒心が強い。

国労名古屋地本の委員長に電話して、状況を話したら、彼も「こっちがストを止めているのに名古屋臨海だけがやつたら、全国がなんだあれは?と驚いてしまう。ユニオンなんてムチャな要求だし。」と言う。
「それじゃ、そっちから良く言い聞かせてストを止めるように指導してくれ」「解りました」

それでもう一度、浅井君を呼んで、こんこんとストをやることの無意味無茶さを話した。
国労委員長からの指導もあったらしく、無事にストは回避された。
それから浅井君とは仲良くなって、いろんなことをやった。

部長をクビになったので、部長社宅を追い出された。
ちょうど長男が高校進学なので、家族は東京の社宅に引っ越し、私は名古屋駅の裏にある独身寮に住むことになった。
国鉄に入社したばかりに仙台の青葉寮に入った時は、新しい社会の入り口に立ったようで嬉しかったが、こんどはちょっと侘しい気分もあった。

こんどの寮の広さも青葉寮と同じで二人部屋だが、私一人で使うことにしてくれた。
布団袋や身の回りのものをタクシーで運ぶときに長女と次男がついてきて、部屋を見まわし、「お父さん、ここで一人で暮らすの」と娘が心配そうに訊いた。
結婚してから、社宅住まいで、とくに部長社宅は広いから、ホテルのシングルルームみたいな狭さに驚いたのだ。
子供たちが去って一人になって、ベッドに子供にやった菓子を置き忘れているのに気づいたら、急に寂しくなった。

名古屋の夏は暑いけれど、部屋にエアコンはついていない。
テレビもない。
取りあえず、偵察がてら街に出て量販店で小型のテレビと小さな冷蔵庫を買った。
エアコンはつけられないので、水冷式の冷風機を使ってみることにした。
少しでも居心地をよくして、外食しないでがんばって寮で夜を過ごすようにすれば、何日か飲み歩く分の経費が浮くのだからと、自分を納得させつつ。

宿舎の引っ越しの日の早朝、玄関にどさっと大きな音がして「おはようございます」という声。出てみると、臼井さんだ。
元名古屋駅長で名古屋臨海鉄道の部長になっている、名古屋のプロパーたちのボスのような人気がある男。
この人とは営業部長の頃から、気が合ってしょっちゅう飲み歩いた。
奥さんが迷惑するから嫌だとカウンタ―にしがみついているのを引っ剥がすようにして我が家に連れて行って饂飩を食べてもらったこともある。
子供たちを連れて彼の家までいって、臼さんが矢倉の上で祭りの餅をまくのを拾って喜んだこともある。

気骨のある男で、彼が仕えた多くのキャリア上司の話をして「学士(大学出)みたいなもん、だいっ嫌いや」というから「臼っさん、俺も学士だぞ」と返すと「あんたあ、学士じゃない」などとなんども言い合った。

大垣の自宅で朝早くから餅をついてかついできてくれたのだ。
雪のなかから掘り出したヨモギをいれた草餅もある。
「半分は今日の引っ越し手伝いに来た連中と食べて、あとの半分は東京に持って行って食べてくれ」という。

東京で義母にそういって草餅を食べてもらったら「いい人のいるところで仕事をしてよかったねえ」と涙ぐんだ。

名古屋臨海鉄道、昭和40年に設立された、名古屋南部工業地帯から笠寺駅経由で国鉄に貨物を輸送する会社。
国鉄、名古屋港管理組合および関係企業の出資(15億73,10万7500円)、私が出向した昭和57年度の輸送量は発着で約181万トン、収益は17億7500万円、8836万円の純利益を上げていたが、最盛期260万トンの扱いから年々減少していた。

従業員は214名だったが、国鉄のOBとプロパー採用の若者からなり、社長は国鉄の元中国(広島)支社長、副社長が元愛知県企業庁長、専務が元名古屋市清掃局長、常務に元運輸省民鉄部課長補佐と平取り5名(いずれも国鉄OB)、ほかに非常勤取締役が国鉄名古屋局長、副知事、名古屋市助役、名古屋港管理組合管理者に日通、新日鉄、愛知製鋼などの企業代表9名、それに二人の監査役という、頭でっかちの陣営だった。

国鉄を中心としてOBの再就職先であり、私のような現役バリバリの”エリート”が行くところではない。
T専務が、私は不要だからできるだけ長く管理局においてくれと局長に云いに来るのもむべなるかなだ。

その時の局長は小玉さん、それまでの経理畑のエリート・Mさんとは違って職員局にもいた、いわば私の理解者だった。
彼の言葉によれば、本社は秋田臨海鉄道へ出せといってきたが、せめて自分の近くにおいて見守りたいと思ったから名古屋臨海にしてくれと突っ張ってくれたそうだ。
今まで「御当局対子会社」の関係だった会社に行くのは、今までの部下との関係などで辛いかもしれないが、頑張って耐えてくれといい、管理局の局長室の前に私専用の個室まで用意してくれた。

私は本社の打つ手の早いのに驚きはしたものの、新しい仕事ができることを嫌ではなかった。
いくら個室があっても、そこで次の総会まで半年も過ごすのは勘弁してほしいと、臨時株主総会を開いてもらって取締役常務にしてもらった。
もう一人の常務と担務を決めて、私は経理だったと思うが、社長が真鍋さんに変わってからはほとんど全てを(結果として)みるようになった。
現場は名鉄大同町駅の近くの東港にあったが、本社は名古屋市の中心・栄町の立派なビルのフロアを借りていた。
創業時の社長が国鉄関東総支配人ののち参議院議員になった森田義衛氏でもあり構えは豪華だった。

82年の11月だったか、本社は現場協議制を廃止した。
多くは純朴で生真面目な駅長区長助役たちに対して、半ばプロ化した活動家がマル生運動の恨みをこめて徹底的に吊し上げ、闇慣行などを勝ち取る。
たしかに国鉄の現場規律の乱れなど、諸悪の根源といわれてもしょうがないのが実態だった。

制度廃止の趣旨やこんごの取り組みを指導するために本社職員局調査役が名古屋局にきた。
大会議室に現場長と各部長が集められた。

調査役が「こんご現場では組合とのあいだで一切の話し合いをしてはならない」を骨子とする一通りの説明を終えて、質問を受け付けたところ、ある車掌区長が立って、ダイヤ改正などに伴う具体的な作業変更について分会と話すこともいけないのか?と質問した。

私は本社調査役が答えるまえに、「現場で作業について疑問点などを話し合うのはむしろ現場長のつとめだ。私が営業部長であるかぎり、営業現場長は堂々と説明し質問に答えよ」といった。

よくじつ、私は名古屋臨海鉄道に出向を命じられた。
本社の方針に反する、けしからん部長だ、というわけだ。

名古屋臨海鉄道の専務(元名古屋市清掃局長)がやってきて、「6月の株主総会で役員を改選するまで、あなたが来ても何の仕事もないので、のんびりしていてくれ」といった。
それではこっちがおかしくなる。
私は局長に頼んで、臨時株主総会をひらいてもらって、常務取締役として名古屋臨海鉄道に赴任した。

↑このページのトップヘ