私は開発事業部で大した仕事をできなかった。
それまでの国鉄とJRの人生で、大小はともかく、どこにいても、自分でなければできないような仕事をしたという気持ちはあったが、開発の仕事では、もっと力のある人がいたらいいのにと思うことが多かった。
しかし、寄せ集め部隊の部下たちとの付き合いは楽しかった。
とくに親睦のために長野の鬼無里にある民宿に旅行して、それが楽しくて、また来年もやろうと、こんどは計画部から長野支社に転勤した山本さんと藤井君が地元幹事になって北信濃の釣や山菜取り、温泉巡りの旅はほかにない楽しさで、「鬼無里会」となづけて、毎年続けている。
計画部のメンバーだった菅原君が八幡平ホテルの支配人に出向になってからは、八幡平周辺の秘湯をめぐり、山に登り、釣りをし、夜を徹して飲み語る。
気が合わない人は去っていった反面、楽しいと思う人は、計画部やJRを去った後も、家族や知人を連れて来て、その後定例メンバーに加わったりして、今でも続いている。
中心になるのは、とうじ庶務経理などをしていた秋山さん(とその夫人)で、彼の大らかな面倒見のよい人柄に惹かれて、房総にある彼の家に行く人もいた。
いつの頃か、秋山さんの家の庭で豪勢な海の幸のバーベキューをするのが夏の慣わしになって、20人を超すメンバーや家族が笑いの絶えない半日を過ごす。
秋山夫妻の金婚式を祝う会を銚子犬吠埼のホテルでやり、豪勢な夕陽を見た後、銚子の民宿で「もう出す酒がない」と主人が呆れるほど呑んで、そのあとも銚子駅の前の大衆食堂で大酒を飲んだのはコロナ禍のちょっと前のことだ。
JR退職後、裏磐梯の古民家を買って手打ちそばの店を開いた岩佐さんも、秋山さんとのつながりでメンバーになって、なんども皆でその店に泊まりにいった。
自然が好きな人、威張らない人、酒が強い人(例外もあるけど)が共通の性格だ。
鬼無里会の過去の思い出のいろいろを繰り返して語りあうだけで時間が過ぎていく。
それがまた思い出となって積み重なる。
さいきんは、山登りや渓流釣りはやらず、秘湯などへの旅行、人形町の焼き鳥屋での新年会とそのあとのカラオケ大会、夏のBQが主な定例行事となっている。
「鬼無里会」は私の宝物になった。
それまでの国鉄とJRの人生で、大小はともかく、どこにいても、自分でなければできないような仕事をしたという気持ちはあったが、開発の仕事では、もっと力のある人がいたらいいのにと思うことが多かった。
しかし、寄せ集め部隊の部下たちとの付き合いは楽しかった。
とくに親睦のために長野の鬼無里にある民宿に旅行して、それが楽しくて、また来年もやろうと、こんどは計画部から長野支社に転勤した山本さんと藤井君が地元幹事になって北信濃の釣や山菜取り、温泉巡りの旅はほかにない楽しさで、「鬼無里会」となづけて、毎年続けている。
計画部のメンバーだった菅原君が八幡平ホテルの支配人に出向になってからは、八幡平周辺の秘湯をめぐり、山に登り、釣りをし、夜を徹して飲み語る。
気が合わない人は去っていった反面、楽しいと思う人は、計画部やJRを去った後も、家族や知人を連れて来て、その後定例メンバーに加わったりして、今でも続いている。
中心になるのは、とうじ庶務経理などをしていた秋山さん(とその夫人)で、彼の大らかな面倒見のよい人柄に惹かれて、房総にある彼の家に行く人もいた。
いつの頃か、秋山さんの家の庭で豪勢な海の幸のバーベキューをするのが夏の慣わしになって、20人を超すメンバーや家族が笑いの絶えない半日を過ごす。
秋山夫妻の金婚式を祝う会を銚子犬吠埼のホテルでやり、豪勢な夕陽を見た後、銚子の民宿で「もう出す酒がない」と主人が呆れるほど呑んで、そのあとも銚子駅の前の大衆食堂で大酒を飲んだのはコロナ禍のちょっと前のことだ。
JR退職後、裏磐梯の古民家を買って手打ちそばの店を開いた岩佐さんも、秋山さんとのつながりでメンバーになって、なんども皆でその店に泊まりにいった。
自然が好きな人、威張らない人、酒が強い人(例外もあるけど)が共通の性格だ。
鬼無里会の過去の思い出のいろいろを繰り返して語りあうだけで時間が過ぎていく。
それがまた思い出となって積み重なる。
さいきんは、山登りや渓流釣りはやらず、秘湯などへの旅行、人形町の焼き鳥屋での新年会とそのあとのカラオケ大会、夏のBQが主な定例行事となっている。
「鬼無里会」は私の宝物になった。