千葉支社には4年いた。
長い方だと思うが、もっともっといたかった。
さいしょの2年を過ぎたところで取締役にしてもらった。
国鉄改革に乗りそこなった男としては、法外の待遇に驚きもし感謝もした。
千葉にきてすぐにやったことの一つは、千葉ターミナルなどの子会社にいるプロパーのOBの何人かを取締役に引き上げることだった。
それまで、役員になるのはキャリアだけだったから、多くのOBが喜んでくれた。
しかし自分がJR本体の役員になるなどとは夢思わなかった。
同じ支社長のなかでも高崎などは役員になっていたから、地元のOBたちのなかには「なんで千葉がなれないのか」と憤慨してみせる人もあったけれど。
発展途上にあった千葉で、人事課長と貨物課長をつとめ、JRになってから、そこの支社長になるなんて、出来すぎだと思っていた。
千葉でJRを辞めることになるだろう、それが一番いいことだと思ってもいた。
それなのに、4年過ぎたところで本社の「営業部長」になることになった。
しかも常務取締役として、だ。
嘘か、とも思った。
支社を去るとき、前任者は支社の前に社員が並んで、花束を貰って拍手の中を千葉駅に向かうというセレモニーがあった。
そんなことをされたら、どういう顔をしたらいいのだろう。
私は、セレモニーを断って、一人黙って支社の前にある千葉駅にむかい、総武線電車の窓から静かに別れを告げた。
長い方だと思うが、もっともっといたかった。
さいしょの2年を過ぎたところで取締役にしてもらった。
国鉄改革に乗りそこなった男としては、法外の待遇に驚きもし感謝もした。
千葉にきてすぐにやったことの一つは、千葉ターミナルなどの子会社にいるプロパーのOBの何人かを取締役に引き上げることだった。
それまで、役員になるのはキャリアだけだったから、多くのOBが喜んでくれた。
しかし自分がJR本体の役員になるなどとは夢思わなかった。
同じ支社長のなかでも高崎などは役員になっていたから、地元のOBたちのなかには「なんで千葉がなれないのか」と憤慨してみせる人もあったけれど。
発展途上にあった千葉で、人事課長と貨物課長をつとめ、JRになってから、そこの支社長になるなんて、出来すぎだと思っていた。
千葉でJRを辞めることになるだろう、それが一番いいことだと思ってもいた。
それなのに、4年過ぎたところで本社の「営業部長」になることになった。
しかも常務取締役として、だ。
嘘か、とも思った。
支社を去るとき、前任者は支社の前に社員が並んで、花束を貰って拍手の中を千葉駅に向かうというセレモニーがあった。
そんなことをされたら、どういう顔をしたらいいのだろう。
私は、セレモニーを断って、一人黙って支社の前にある千葉駅にむかい、総武線電車の窓から静かに別れを告げた。