難航する退店交渉は、ほとんど私の孤軍奮闘だった。
社長マターとして、部長以下では向こうが相手にならないこともあったが、どうしてもその店を動かさないと、ゾーンのコンセプトが台無しになるということに対する問題意識が、残念ながら社員たちに共有されていないこともあった。
今まで、名店会の店としてやってきているのだから、何もそうむげに追い出さなくてもいいじゃないか、社長がやるというならお手並み拝見、そんな空気もあったのではないか。
工期ギリギリの最終場面で、専務はスキー部の顧問とかで社員たちと遊びに出かけてしまうのだ。
テナント選び、その内装外装、通路の舗装、照明、、すべてに細部にわたるまでないがしろにせずに、計画したイメージを実現しようとする私。
それは、社長の私がこだわらなくて、部下の誰がやるというのか。
社内の昔からこの仕事に関わって来た技術屋たちは、工期工費の制約の中で、JR東日本からのいい加減な注文など、いろんな問題が発生するたびに、適当なところで妥協して前に進めようとする。
そうやってきたのが、国鉄時代からの鉄道会館の”伝統”だった。
素人の社長が「俺がやらなくて誰がやる」と力みかえるのは、決して褒められたことではない。
そう思い、専務以下に任せてしまおうと考えることも再三あったが、いざ現実の問題処理の場面になると、任せておいたら、せっかくコンサルタントと描いた絵が、まさに画餅に帰すのだった。
コンサルタントのOさんも、常に昼夜を問わず直接私に問題をぶつけてくるのは、それが解っていたからだった。
専務以下がJR本社との打ち合わせ会議がある日は、彼らが出かける前に、早朝会議を開いて、あらかじめ本社との打ち合わせ事項について相談をして、JRが言ってきそうなことに対して、それについての会社の態度をきちんと決めておいた。
経験上、JRが言いそうなことに対して、拒否する場合の論理構成を授けておいた。
しのぎきれなかったら、最低限「帰社して社長の意向を確かめます」と、そのくらいは言ってこいと。
そうしないと、彼らはJRで言われたことをそのまま了承しておいて、時間をおいてから、しかるべき言い方で私に報告するのが習いだった。
そうなったときには、もう遅いのだ。
社長マターとして、部長以下では向こうが相手にならないこともあったが、どうしてもその店を動かさないと、ゾーンのコンセプトが台無しになるということに対する問題意識が、残念ながら社員たちに共有されていないこともあった。
今まで、名店会の店としてやってきているのだから、何もそうむげに追い出さなくてもいいじゃないか、社長がやるというならお手並み拝見、そんな空気もあったのではないか。
工期ギリギリの最終場面で、専務はスキー部の顧問とかで社員たちと遊びに出かけてしまうのだ。
テナント選び、その内装外装、通路の舗装、照明、、すべてに細部にわたるまでないがしろにせずに、計画したイメージを実現しようとする私。
それは、社長の私がこだわらなくて、部下の誰がやるというのか。
社内の昔からこの仕事に関わって来た技術屋たちは、工期工費の制約の中で、JR東日本からのいい加減な注文など、いろんな問題が発生するたびに、適当なところで妥協して前に進めようとする。
そうやってきたのが、国鉄時代からの鉄道会館の”伝統”だった。
素人の社長が「俺がやらなくて誰がやる」と力みかえるのは、決して褒められたことではない。
そう思い、専務以下に任せてしまおうと考えることも再三あったが、いざ現実の問題処理の場面になると、任せておいたら、せっかくコンサルタントと描いた絵が、まさに画餅に帰すのだった。
コンサルタントのOさんも、常に昼夜を問わず直接私に問題をぶつけてくるのは、それが解っていたからだった。
専務以下がJR本社との打ち合わせ会議がある日は、彼らが出かける前に、早朝会議を開いて、あらかじめ本社との打ち合わせ事項について相談をして、JRが言ってきそうなことに対して、それについての会社の態度をきちんと決めておいた。
経験上、JRが言いそうなことに対して、拒否する場合の論理構成を授けておいた。
しのぎきれなかったら、最低限「帰社して社長の意向を確かめます」と、そのくらいは言ってこいと。
そうしないと、彼らはJRで言われたことをそのまま了承しておいて、時間をおいてから、しかるべき言い方で私に報告するのが習いだった。
そうなったときには、もう遅いのだ。